2008年 04月 26日
ボス |
先日のことです。
家の入り口近くにあるエアコンの室外機の上に、どーんと大きな猫がうずくまっていました。
一目で、ああ、ボス猫だわ、と思ました。
風格があるんです。
せちがらい世の中を生き抜いてきましたぜい、と顔に書いてある。
かなりな年齢らしく、毛並みもちょっと荒れ気味で、決して「きゃー、かわいい!」とは言われないだろうけど、そんなこと言われたくもないんだろうな。
私が近づいても、ちらっと一瞥をくれただけで、またかったるそうに目をつぶってしまいました。
それだけのことなんですけど、そして珍しくもないことなんだけど、なんだか気になっちゃって。
大島弓子氏の『グーグーだって猫である』に、「最後を看取らせてくれるなら家においで」といって猫を拾ってくるシーンがあるのですが、まさにそんな気持ちです。
看取らせてくれるなら・・・
でも、そんなことは余計なお世話なのかもしれませんね。
閉じこめられるのなんてまっぴらごめんなのかも。
また、顔見せにくるといいな。
家の入り口近くにあるエアコンの室外機の上に、どーんと大きな猫がうずくまっていました。
一目で、ああ、ボス猫だわ、と思ました。
風格があるんです。
せちがらい世の中を生き抜いてきましたぜい、と顔に書いてある。
かなりな年齢らしく、毛並みもちょっと荒れ気味で、決して「きゃー、かわいい!」とは言われないだろうけど、そんなこと言われたくもないんだろうな。
私が近づいても、ちらっと一瞥をくれただけで、またかったるそうに目をつぶってしまいました。
それだけのことなんですけど、そして珍しくもないことなんだけど、なんだか気になっちゃって。
大島弓子氏の『グーグーだって猫である』に、「最後を看取らせてくれるなら家においで」といって猫を拾ってくるシーンがあるのですが、まさにそんな気持ちです。
看取らせてくれるなら・・・
でも、そんなことは余計なお世話なのかもしれませんね。
閉じこめられるのなんてまっぴらごめんなのかも。
また、顔見せにくるといいな。
by naocco8
| 2008-04-26 00:02
| つれづれなるままに