2005年 10月 28日
メゾン・ド・ヒミコ、ふたたび |
2回目行ってきました。
初めて観たときにはわからなかった、新たな発見がいろいろありました。
(以下ネタバレありますのでご注意ください。)
今回は、ストーリーを追わなくて良い分余裕ができて、最初から最後まで、ああなんて良い映画なんだろう、としみじみ思いながら観ていました。
そして思ったのは、この映画には“詩”の手法が用いられているということ。
こちらに与えられる情報はあえて最小限に止められており、その背景については観る者の想像力に委ねられているということです。
もちろん芸術作品とはそういうものなのでしょうが、この作品ではその委ねられた部分が思っていたよりも大きいことに気付いたのです。
初めて観た時にはメゾン・ド・ヒミコの住人たち一人一人の人生についてまで読みとることができませんでした。
ルビィや山崎さんの過去については比較的わかりやすい形で示されますが、その他の人たちについては、ちょっとした表情や振る舞い、会話などからこちら側が汲み取るしかないのです。
しかもかなり突き放した描き方がなされており、見る側に余計な感情(同情や親しみ、嫌悪など)を起こさせない。
巧妙な手法です。
そしてこの映画の舞台はやはり“ゲイ”の“老人ホーム”でなければならなかったのだと思いました。
前回、登場人物たちがゲイである必然性がよくわからないままになってしまったのですが、今回はそれを感じることができました。
なぜならどの人も、人生のどこかで、1つの大きな壁を乗り越えてきたはずだからです。
監督が当初撮ろう思っていたという大島弓子のつるばらつるばらにも描かれていますが、ゲイの人はゲイであることを自ら選んだのではない。
自分の意志ではどうにもならない運命をどこかで受け入れざるを得なかったはずです。
そこが沙織との接点になっています。
沙織の身の回りに起きたことも、自らが選んだことではなく、どうしようもなく巻き込まれたものです。
だからこそ、そこにシンパシーが生まれるわけです。
でも完全に同調できるわけではない。
男と女であり、老人と若者であり、ゲイとストレート(ノンケ?)なのだから。
あの幸福感あふれるダンスシーンで泣けてしまうのは、分かり合えない人と人とが触れ合った時に生じる一瞬のきらめきだからなのだと思います。
沙織が初めてメゾン・ド・ヒミコを訪れた日に食卓に並べられた、みんなが持ち寄ったという豊富で多様な食べ物は住人たちの豊かな経験を表し、ヒミコの「みんなから少しずつ分けてもらうといいわ」という言葉は映画を見ている私に対しても向けられたものだったと、今回改めて思いました。
ああ、ほんとうに良い映画です。
でも嫌いな所が1つもないわけではありません。
ボランティアと称する大学生の男の子たちが着ているTシャツ、あれは許せない。
それに流しそうめんはちょっとなまなまし過ぎ。
考えすぎかな?
初めて観たときにはわからなかった、新たな発見がいろいろありました。
(以下ネタバレありますのでご注意ください。)
今回は、ストーリーを追わなくて良い分余裕ができて、最初から最後まで、ああなんて良い映画なんだろう、としみじみ思いながら観ていました。
そして思ったのは、この映画には“詩”の手法が用いられているということ。
こちらに与えられる情報はあえて最小限に止められており、その背景については観る者の想像力に委ねられているということです。
もちろん芸術作品とはそういうものなのでしょうが、この作品ではその委ねられた部分が思っていたよりも大きいことに気付いたのです。
初めて観た時にはメゾン・ド・ヒミコの住人たち一人一人の人生についてまで読みとることができませんでした。
ルビィや山崎さんの過去については比較的わかりやすい形で示されますが、その他の人たちについては、ちょっとした表情や振る舞い、会話などからこちら側が汲み取るしかないのです。
しかもかなり突き放した描き方がなされており、見る側に余計な感情(同情や親しみ、嫌悪など)を起こさせない。
巧妙な手法です。
そしてこの映画の舞台はやはり“ゲイ”の“老人ホーム”でなければならなかったのだと思いました。
前回、登場人物たちがゲイである必然性がよくわからないままになってしまったのですが、今回はそれを感じることができました。
なぜならどの人も、人生のどこかで、1つの大きな壁を乗り越えてきたはずだからです。
監督が当初撮ろう思っていたという大島弓子のつるばらつるばらにも描かれていますが、ゲイの人はゲイであることを自ら選んだのではない。
自分の意志ではどうにもならない運命をどこかで受け入れざるを得なかったはずです。
そこが沙織との接点になっています。
沙織の身の回りに起きたことも、自らが選んだことではなく、どうしようもなく巻き込まれたものです。
だからこそ、そこにシンパシーが生まれるわけです。
でも完全に同調できるわけではない。
男と女であり、老人と若者であり、ゲイとストレート(ノンケ?)なのだから。
あの幸福感あふれるダンスシーンで泣けてしまうのは、分かり合えない人と人とが触れ合った時に生じる一瞬のきらめきだからなのだと思います。
沙織が初めてメゾン・ド・ヒミコを訪れた日に食卓に並べられた、みんなが持ち寄ったという豊富で多様な食べ物は住人たちの豊かな経験を表し、ヒミコの「みんなから少しずつ分けてもらうといいわ」という言葉は映画を見ている私に対しても向けられたものだったと、今回改めて思いました。
ああ、ほんとうに良い映画です。
でも嫌いな所が1つもないわけではありません。
ボランティアと称する大学生の男の子たちが着ているTシャツ、あれは許せない。
それに流しそうめんはちょっとなまなまし過ぎ。
考えすぎかな?
by naocco8
| 2005-10-28 12:42
| Movie